愛知県にかつて存在した「消えた市名」――尾西・守山・挙母について

愛知県の地図を広げても、もう見つからない市名がある。尾西市、守山市、そして挙母市。いずれも独立した市としての歴史を歩みながら、現在は市名としては消えた。だが、その名は学校名や地域呼称として今なお残り、暮らしの中に息づいている。今回は、この「消えた市名」三つを取り上げ、それぞれの背景をたどってみたい。
尾西市 ― 繊維の街から一宮へ


尾西市は2005年に一宮市へ編入された。木曽川流域に位置し、明治から昭和にかけて尾西織物の一大産地として栄えた。特に「毛織物」は全国的に名を馳せ、一宮市と並び「日本の毛織物の双璧」と称されるほどである。市制施行は1955年。旧平島村・奥町・起町などが合併して誕生し、産業都市としての独自の歩みを続けた。ちなみに、1955年市制の同期は小牧市。
しかし、織物業の衰退や都市圏の拡大によって、一宮との境界は次第に曖昧となっていく。生活圏・経済圏を共有するなかで「一宮市にまとまるほうが将来に資する」と判断され、2005年、ついに一宮市へ吸収合併された。現在も「尾西庁舎」や「尾西高校」、「尾西まつり」など、地域の暮らしの中でその名は残っている。尾西という呼称は、いまや“市名を超えた地域名”として、住民に根付いている。
守山市 ― 名古屋に吸収された宿場町の面影

守山市は1954年に市制を施行したが、その独立期間はわずか7年。1963年に名古屋市へ編入され、現在の守山区となった。
歴史をひもとけば、この地域は瀬戸街道沿いの宿場町として栄え、瀬戸焼や尾張物産の流通に欠かせない交通の要地であった。戦後は宅地化が急速に進み、「名古屋のベッドタウン」として人口が増加。市制施行当初は「独立した市」としての道を模索したが、名古屋市の膨張の波に飲まれ、短期間で吸収合併に至った。
ただし「守山」という名は消えたわけではなく、名古屋市の区名としてしっかりと残っている。近年の志段味地区の急成長により、唯一名古屋市で地下鉄が無い区として知名度も再上昇中。守山警察署の管轄に、名古屋市外の尾張旭市が含まれているのも、守山市の名残を感じられると言えるのかもしれない。
挙母市 ― 世界企業とともに改名した町

現在の豊田市は、かつて「挙母市」と呼ばれていた。1951年に市制を施行し、三河地方の小都市として歩み始めたが、時を同じくしてトヨタ自動車がこの地に拠点を構える。戦後の高度経済成長の波に乗り、自動車産業が飛躍的に成長すると、都市の性格は一変した。
1959年、ついに「挙母市」から「豊田市」へ改称。背景には「世界的に知名度を高めつつあったトヨタ自動車と都市を一体化させる」という明確な戦略があったとされる。結果として豊田市は「企業名=都市名」という稀有な存在となり、国内外にその名を知らしめることになった。
ただし「挙母」の名が完全に消えたわけではない。市の中心部には今も「挙母神社」や「挙母小学校」があり、秋の「挙母まつり」は地域の誇りとして続いている。市名は消えても、土地の記憶として根強く残っているのが特徴だ。
感想・終わりに
尾西市、守山市、挙母市――地図から消えた市名は、単なる文字の消失ではない。地域産業の盛衰、都市圏の拡大、そして世界的企業との結びつきなど、それぞれの「理由」と「物語」があった。今も学校名や祭り、区名などにその痕跡をとどめており、かつての市名を知ることは、愛知県の都市史をもう一度掘り起こすことにつながる。消えた名前をたどれば、現在の街の姿もまた、より立体的に見えてくるはずだ。「田口」や「古知野」など、現在でもなお知名度の高い地名と、聞かなくなってしまった知名を比較して分析するのも面白そう。