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東海地方の中核市+四日市市と津市を、過去と現在の地図上で比較してみる。

2024年9月現在、東海地方(静岡県は除く)には5市の中核市が存在する。豊橋市、岡崎市、一宮市、豊田市(愛知県)と岐阜市(岐阜県)である。また、それに次ぐ人口規模を誇る自治体としては四日市市、津市、春日井市などが挙げられる。今回は、その中から以下の自治体に絞って、地図上で中心部市街地の規模を過去と現在で比較してみたい。

豊橋市(県内市制移行2番目)

岡崎市(江戸時代から西三河の中心地)

一宮市(毛織物産業で全国的に栄えた)

豊田市(愛知県内人口2位)

岐阜市(岐阜県の県庁所在地)

四日市市(三重県内人口1位)

津市(三重県の県庁所在地)

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明治時代の地図で比較する

1889年頃の地図と現在の中心部を比較してみる。今回は取り扱う数値的データは少なめ。あくまで地図上の視覚的な感想をダラダラ述べていきたいと思う。

当時、すでに市制を敷いていたのは名古屋市と津市、岐阜市のみ。静岡県を含めても静岡市を追加した4市。つまり、県庁所在地以外はすべて町村だったことになる。

縮尺はすべて同じにしてあるので、市街地の大きさが比較できる。

豊橋市

今昔マップより筆者作成

東海道が豊川を渡る箇所に市街地が広がっている。現在の豊橋市役所は、明治からの中心部に位置していることが分かる。当時の豊橋町人口は約1.4万人で、現在は政令市である静岡県の浜松町とほぼ同じだった。

岡崎市

今昔マップより筆者作成

岡崎町も豊橋町と同様に、東海道沿いに市街地が形成されている。範囲は狭いが、現在も街の中心部は変わっていないと言えそう。現JR東海の東海道本線が中心部から離れた場所を通ったが、和歌山市のようにJR駅周辺へ賑わいが移ることはなかった。なお、当時の人口は約1.6万人。

一宮市

今昔マップより筆者作成

岡崎町や豊橋町に比べると、市街地がかなり狭い印象を受ける。市街地は南北に伸びている。それが幸いしてか、鉄道駅が市街地にかなり近い位置に設置された。今回比較する自治体の中で、JRと私鉄が一緒になった総合駅を形成しているのは、豊橋市、一宮市、津市のみ。当時の人口は約1.1万人。

豊田市

今昔マップより筆者作成

当時の自治体名は挙母村。今回比較する自治体では最も市制が遅いこともあり、当時はまだ村だった。後に大きな影響を与えるトヨタはまだ見当たらない。当時の人口も不明。

ただ、当時の挙母村の中心部すぐ近くに現在の豊田市駅が位置している。駅が設置されてから急速に都市化が進んだこともあり、現在の豊田市は中心駅周辺が市街地の中心部となっており、利便性は良い(鉄道路線の利便性は置いておき)。

岐阜市

今昔マップより筆者作成

城下町である岐阜市と、中山道の宿場町であった加納が栄えていたことがわかる。加納宿周辺は後に合併し、現在は岐阜市のJR岐阜駅周辺として発展している。

こうして見ると、岐阜市の中心部はかなり南に移ったことがわかる。戦後に大きく繁栄した柳ヶ瀬は、この時期にはまだ発展していない。現在の中心地とされる名鉄岐阜駅・JR岐阜駅周辺も、当時は田畑が広がっていたようだ。ダイエーや名鉄百貨店の閉店に伴い、現在では名鉄岐阜駅周辺からJR岐阜駅周辺へ賑わいが移ってきていると言われる。近年でも、中心部の南下は徐々に進行していると言えるだろう。岐阜県庁はかなり南へ移転したが、そこまで中心部が南下することは、何年経っても起こらないかもしれない。

当時の人口は約2.7万人で、県内で岐阜市に次いで大垣町が約2.2万人であった。

四日市市

今昔マップより筆者作成

この地図を見て四日市だと答えられる人は少ないだろう。現在とは、発展の度合いや臨海部の地形などが大きく異なっている。当時の市街地を見る限り、現在のJR四日市駅の位置も決して悪くないように思えるが、近鉄四日市駅との賑わいの差が大きいことは、地理好きの間ではよく知られた話である。当時の人口は約1.75万人で、桑名町(約1.79万人)をやや下回っていた。

津市

今昔マップより筆者作成

市街地はかなり広い印象を受ける。城を中心に市街地が広がっており、街道沿いだけが市街化されていた一宮町と比べると、より「街」としての雰囲気が強い。現在の津新町駅が旧市街地に近く、現在の津駅周辺にはまだ田畑が広がっている。ただし、三重県庁は現在とほぼ同じ位置にあり、当時も津駅が最寄り駅だったようだ。当時の人口は約2.8万人で、宇治山田町(現伊勢市)を約千人上回り、県内で最も多かった。

参考:名古屋市

今昔マップより筆者作成

同じ縮尺で比べているが、やはり名古屋市は当時から市街地が広い。印象的なのは、さすが城下町といえる綺麗な格子状の区画、様々な方向へ伸びていく街道、東西へ綺麗に伸びる広小路通。現在の繁華街といえる名駅、金山、千種、大曽根はまだ市街地化されていない。当時の人口は約16.3万人で、東海地方では1位、全国でも4位だった。

東海地方自治体の市制移行順

最後に、東海地方の自治体が市制を果たした順を確認していく。明治から大正へ時代が変わる時点では、愛知県は2市、岐阜県は1市、三重県は3市、静岡県は2市という体制だった。

明治

静岡市・津市岐阜市、名古屋市、四日市市豊橋市、宇治山田市、浜松市

大正

岡崎市、大垣市、一宮市、沼津市、清水市

昭和(戦前まで)

瀬戸市、松阪市、高山市、桑名市、熱海市、半田市、多治見市、三島市、上野市、富士宮市、鈴鹿市、春日井市、豊川市

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