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長野県代表都市の現在と過去を分析。大正9年に長野市を超える人口を抱えていた村の正体は?

長野県の都市といえば、県庁所在地の長野市VS松本市のような取り上げられ方が多い印象です。この二大都市と比べれば全国的な知名度は少し低くなりますが、上田市や飯田市など、地域における中心都市は人口10万人前後の規模を誇ります。今回は、これらの地域における中心都市と、その過去の状況を深掘りすることで長野県の人口分布をざっくり覚えていきます。

CONTENTS

長野県の地方区分と中心都市

長野県をいくつかの地方に分ける際には、北信地方東信地方中信地方南信地方に分類されます。さらに細かく分ける場合は、中信地方と南信地方はそれぞれ3地域、北信地方と東信地方はそれぞれ2地域、合計10地域に分けられます。呼び方はいろいろありますが、今回は長野県支庁の区分をもとに紹介します。また、中心都市は支庁所在地とします。実施のところ、支庁が置かれている自治体が最大都市であるケースがほとんどで、イメージ通りなので覚えやすいです。

北信地方

長野地域(長野市)

県庁所在地である長野市に支庁が置かれています。長野市の他にも、須坂市や千曲市(旧更埴市を含む)が長野地域に含まれます。長野地域と北信地域を合わせたほぼ全ての自治体が、人口約60万人の長野都市圏の一部となっています。

北信地域(中野市)

長野県最北部の地域であり、人口減少が進む地域です。支庁は中野市に置かれていますが、位置としてはかなり南で、長野地域と言っても問題がないような場所に位置します。位置としては飯山市が地域の中心に近いとは思いますが、自治体規模や人口重心を考えての配置なんだと思います。どちらであったとしても、この北信地域は長野市の影響が絶大で、中野市に地域拠点性はあまり感じません。

東信地方

上田地域(上田市)

長野市と松本市に次いで県下3番目に市制移行した上田市が中心都市です。他には東御市などの自治体を含みます。東信地方は、2地域とも北陸新幹線に沿う地域で、上田地域の玄関駅は上田駅です。上田地域のすべての自治体が上田都市圏(約21万人)に含まれます。

佐久地域(佐久市)

古くから栄えていた小諸市ではなく佐久市に支庁が置かれています。北陸新幹線の駅が佐久市に建設されたことで、拠点性が高まりました。小諸市を含む多くの自治体が佐久都市圏(約18万人)に含まれますが、軽井沢町や川上村、南牧村は含まれていません。

中信地方

松本地域(松本市)

県下第二の都市である松本市を中心とする地域です。塩尻市や安曇野市を地域、都市圏に含みます。松本都市圏は人口約44万人で、後述の北アルプス地域にも都市圏を広げています。また、木曽地域にも一部都市圏が広がっています。同じ中信地方である北アルプス地域や木曽地域は人口が少なく、支庁所在地の都市規模もかなり小さめであり、松本市の地域拠点性が高くなる地理的要因が備わっているといえそうです。

北アルプス地域(大町市)

大町市に支庁が置かれ、白馬村や小谷村などを含みます。池田町や松川村は、距離的にも松本市に近く、松本都市圏に組み込まれています。大町市は人口が約2.5万人とかなり少なく、独自の都市圏を形成していません。

木曽地域(木曽郡木曽町)

長野県で唯一、支庁(地域振興局)が市ではない自治体に置かれている地域です。木曽谷で最大の街である木曽福島に支庁が置かれています。木曽路の自治体は、県庁所在地で考えたときに、長野市よりも名古屋市の影響が大きいと言われる地域です。

南信地方

南信州地域(飯田市)

中心都市はもちろん飯田市で、南信地方で最大都市です。南信州地域は自治体数が多い地域ですが、市制を敷いているのは飯田市のみです。周辺は南アルプスや木曽山脈の高い山に囲まれており、他に大きな規模の街がなく、地理的にも非常に重要な都市となっています。

諏訪地域(諏訪市)

この地域で最も早く市制を施行したのは岡谷市(県下4番目)でしたが、支庁は諏訪市に置かれています。この諏訪市の中心部である旧上諏訪町も歴史的に栄えていた街で、現在は諏訪都市圏(約20万人)を形成しています。昔は、諏訪都市圏と岡谷都市圏が併存していました。

上伊那地域(伊那市)

中心都市は伊那市で、大正時代から伊那谷では飯田市に次ぐ人口規模がありました。2010年には飯田都市圏(約16.5万人)を超える人口約19万人の規模があった伊那都市圏ですが、2020年国勢調査で中心市である伊那市のDID地区人口が1万人未満となったため消滅してしまいました。現在この地域に都市圏はないですが、伊那市が中心であることは間違い無いでしょう。

令和6年現在における人口上位7自治体

1位:長野市

人口:364,712人

長野駅前

長野市は長野県の県庁所在地であり、県の政治、経済、文化の中心地です。市内には、善光寺をはじめとする歴史的名所が点在し、観光地としても人気があります。自然豊かな環境に恵まれ、四季折々の美しい景観が魅力です。交通の要所としても重要で、北陸新幹線や高速道路が通じ、多方面へのアクセスが便利です。愛知県の隣県ではありますが、非常に距離があり、姫路市へ向かうよりも走行距離がかかります。

2位:松本市

人口:238,559人

松本城周辺

松本市は、長野県内で文化芸術が豊かな都市です。国宝松本城はその象徴で、観光客が多く訪れます。古い町並みが残る中町通りや縄手通りでは、歴史と共に現代アートも調和しています。伝統文化と現代芸術が共存する松本市は、長野市とは少し違った雰囲気を醸し出す街です。

3位:上田市

人口:151,158人

上田市は、真田氏ゆかりの上田城で知られる歴史豊かな都市です。温泉や自然も楽しめ、産業も発展しています。北陸新幹線が通り、首都圏からのアクセスも良好な長野県東部の拠点都市です。

4位:佐久市

人口:97,408人

佐久市は古くから農業と商業の中心地として発展し、中山道の宿場町として栄えました。佐久地域の代表都市は小諸市でしたが、北陸新幹線の影響もあり、現在では小諸市に代わって存在感を強めています。小諸市の衰退と佐久市の発展は、地理系ユーチューバーに頻繁に取り上げられるテーマなので、気になる方は調べてみてください。

5位:飯田市

人口:94,851人

果樹栽培や工業が盛んで、観光地として注目される自治体です。伊那谷の中心都市としての地位は、過去から揺るがない印象です。時点で伊那市が、昔から栄えています。

6位:安曇野市

人口:93,276人

安曇野市は、2005年に豊科町や穂高町など5町村が合併して誕生しました。これにより、自然豊かな地域資源を活かしつつ、観光や農業の振興が進み、広域的な発展を目指す自治体となりました。既存の市を含まず、町村のみが合併して誕生した自治体ですが、長野県6位の人口を誇ります。

7位:塩尻市

人口:66,185人

塩尻市は、江戸時代に中山道と甲州街道の交差点として栄え、交通の要衝として発展しました。現在も鉄道や高速道路が通じ、ワイン生産や工業も盛んで、観光と産業の拠点です。特に塩尻駅は、東京方面・名古屋方面・長野松本方面へ路線が伸びるターミナル駅です。

大正9年国勢調査における人口上位7自治体

1位:松本市

人口:49,999人

大正9年における長野県最大都市は松本市でした。明治期から、日本銀行の支店や旧制高等学校が置かれるなど、県庁所在地に匹敵する機能がありました。そもそも、現在の岐阜県飛騨地方を含んでいた筑摩県の時代には、県庁所在地だった都市です。

2位:諏訪郡平野村

人口:44,278人

2位に村がランクイン。最初は誤植かと思いましたが、調べてみると現在の岡谷市でした。諏訪地域は1870年代から1920年代にかけて製糸業が大変栄え、東洋のスイスと呼ばれた地域。大正時代に県庁所在地の長野市を超える人口があっても不思議ではないですね。県庁所在地の長野市より人口が多いことが驚きでした。でも、なぜこれだけの人口があっても市制移行が遅かったのか、調べてもよく分かりませんでした。ただ、岡谷市のホームページには、以下のような記載がありました。

明治時代から昭和初期にかけて製糸業で栄え、当時日本一人口の多かった平野村は、昭和の世界恐慌により苦しんでいました。昭和11(1936)年4月1日、行き詰まりの村政を転換させ、多角的工業都市として再出発し、人心の一新を図るため、平野村は、町制を経ずに一気に市制を施行し岡谷市となりました。

3位:長野市

人口:37,308人

市制移行は1897年で、全国では43番目。中部地方では市制移行が最も遅かったです。中部地方における長野市以外の県庁所在地は、すべて1889年に市制移行していました。

4位:上田市

人口:26,271人

大正時代の上田市は、製糸業が盛んで、日本有数の生糸産地として経済的に発展しました。また、鉄道の整備により交通が向上し、商業活動も活発化しました。県内3番目に市制移行しました。

5位:諏訪郡上諏訪町

人口:17,058人

上諏訪町は、現在の諏訪市中心部です。2位の平野村と同様に、諏訪地域は産業が栄えていたために、昔から人口が多い地域であったようです。

6位:下伊那郡飯田町

人口:17,013人

大正時代の飯田市は、農業と商業を基盤に発展し、特に養蚕業が盛んでした。また、天竜川の水運や鉄道の開通により交通網が整備され、地域の経済や文化の発展を支えました。現在と同じく、伊那谷では最も人口が多い自治体です。

7位:諏訪郡下諏訪町

人口:15,608人

大正時代の下諏訪町は、中山道と甲州街道が分岐する宿場町として栄え、交通の要衝でした。温泉地としても知られ、諏訪大社や温泉観光が発展しました。上諏訪町とは異なり、現在でも下諏訪町として自治体が残っています。

現在発展している他の街の過去は?

大正時代の佐久市は?

佐久市は、1961年に北佐久郡浅間町・東村・南佐久郡野沢町・中込町の規模が大きい町村が合併して誕生した経緯があります。この中で、浅間町の中心部にあたる岩村田町が、大正時代における最大人口を抱える街でした。現在の北陸新幹線佐久平駅の周辺です。

北佐久郡岩村田町 人口:7,382人

ちなみに、この時代の佐久地方最大都市は現小諸市で、この地域では唯一人口が1万人を超えていました。

北佐久郡小諸町 人口:11,095人

大正時代の安曇野市は?

現在の安曇野市域で大正時代から人口が多かった街は、以下の自治体です。

南安曇郡豊科町 人口:5,243人

南安曇郡東穂高村 人口:5,570人

南安曇郡の郡役所は豊科村に設置され、同郡で最初の町制施行で豊科町となりました。続いて東穂高村が町制施行し、穂高町に改称しました。

大正時代の塩尻市は?

東筑摩郡塩尻村 人口:7,861人

宿場町・交通の要衝として江戸、明治期から発展してきた塩尻ですが、そこまで人口は多くなかったようです。同時期には、諏訪湖周辺が大変栄えていました。

県内人口1位都市の変遷

2024年現在では、かなりの差をつけて長野市が県内1位の人口を誇っています。1920年の段階では、松本市の人口が長野市を上回っていました。また、現岡谷市である平野村も、長野市の人口を上回っていました。

では、長野市の人口が松本市を上回ったのはいつ頃か、気になったので国勢調査を調べてみました。

1930年国勢調査

長野市 人口:73912人

松本市 人口:72141人

1925年国勢調査

長野市 人口:66555人

(5年前同市域 人口:57702人)

松本市 人口:63427人

(5年前同市域 人口:53527人)

1920年国勢調査

長野市 人口:37,308人

松本市 人口:49,999人

調べると、1925年国勢調査で僅かにですが長野市の人口が松本市を上回っていました。合併も影響しているようで、1925年時点の市域で5年前人口を比べた場合、すでに長野市が松本市を上回っていたようです。

まとめ・感想

いかがでしたでしょうか。歴史や現在の地域区分を見てみると、やはり長野市と松本市が影響力の大きな都市であることが伺えます。それに続く都市は上田市と飯田市と上田市だと思いますが、都市圏で見ても影響を及ぼす範囲は地域内で収まっています。東信地方の上田市、南信地方の飯田市が、地域を超えて地方全体で中枢性を発揮しているかといえば、微妙な感じですね。個人的な感想ですが、特に諏訪地域は、生活圏がほぼ中信地方という感覚です。いろいろなデータを見ていると、飯田市は東海地方との結びつきが強く、諏訪地域は首都圏との結びつきが強いみたいです。

そして、諏訪地域が特殊な地域のように感じました。明治・大正期にかけて、製糸業が発展し、昭和の時代は時計などの精工機器の工業が栄えました。大正期の人口では、平野村、上諏訪町、下諏訪町の3自治体が人口上位7都市にランクインしましたが、現在では上位7都市に諏訪地域の都市はランクインがありません。再編が進まなかったことが主な要因だとは思いますが、狭いエリアに岡谷都市圏と諏訪都市圏が2つもあったように、他地域のような誰もが納得する分かりやすい中心都市が無かったことも影響しているかもしれません。

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